潮風に吹かれて

Goです!  海辺に住んでいます。そんなことから、このブログのタイトルを「潮風に吹かれて」としました。  映画を観ること、どこかへぶらっと出掛けること、それから山歩きすることが好きです。ブログ「潮風に吹かれて」では映画を観ての感想や山行をふくむ旅先での出来事などをネタにした記事を発信していきます。    つたない文章で読みづらいと感じられることがあると思われますが、なにとぞヨロシクです! m( _ _ )m

潮風に吹かれて

vol.11 絶望と歓喜は紙一重

潮風に吹かれて

映画幸福の黄色いハンカチ

配給:松竹

製作国:日本

劇場公開日:昭和52年(1977)10月1日

上映時間:1時間48分 監督:山田洋次

原作ピート・ハミル(アメリカのフォークソング)

キャスト:島 勇作(高倉 健)

       島 光枝(倍賞千恵子)

       花田欽也(武田鉄矢)

       小川朱実(桃井かおり)

     帯広のヤクザ(たこ八郎)

     渡辺課長(渥美 清)

     その他……

 

解説・あらすじ   昭和52年、まだ点々と雪が残る5月の北海道。ガールハント目的で真っ赤なピカピカの新車4代目ファミリアを手に入れ、その車と共に「東京⇔釧路」のフェリーで、新緑まぶしい遅い春を迎えた北海道にやってきた欽也。彼は、網走の駅前で、職場の男女トラブルに嫌気がさして気分転換に一人旅をしている娘・朱実をナンパする。この行きずりのカップルは、オホーツク海を見渡すモヨロ海岸で、ワケあり中年男・勇作と出会う。欽也、朱実、勇作、3人は欽也の車で北海道の観光スポットをめぐり始める。その途中、諸々のことがあって勇作の屈折した過去が明かされる。勇作は夕張で恋女房の光枝と慎ましい生活を送る炭鉱夫だった、しかし「かっとなってキレたら止まらない」という性質の勇作は、ある日、夜の盛り場でチンピラを殴り殺して刑務所に収監される、そして、模範囚として6年の刑期を終え、数日前に出所した。光枝のもとへ帰りたい。が、果たして妻は迎えてくれるだろうか? 出所当日、「もし俺を待っていてくれるなら、庭の竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ」と書いたハガキを光枝に速達で出していた。そんなワケを知った欽也と朱実は、観光ドライブを取りやめて勇作と一緒に夕張へ向かうことした。3人を乗せた赤いファミリアは光枝の返答を求めて走り出す……。 

 アメリカのポップグループ、ドーンが73年に大ヒットさせた「幸せの黄色いリボン」というフォークソングの歌詞の内容は「刑務所帰りの男が故郷の家に戻ると、妻が庭の古い樫の木に黄色いリボンを結んで待っていた」というもので、それを、「男はつらいよ」シリーズや「遥かなる山の呼び声」「キネマの天地」等々の山田洋次監督が、物語の舞台を春の北海道、リボンをハンカチに置き換えて撮った、釧路~夕張の北海道ロケ行程約700㎞のロードムービー。主演は、本作に出演するまでは、任侠映画の輝ける大スターというイメージが強かった高倉 健。男を待つ甲斐甲斐しい妻を演じるのは、60本以上もの山田洋次監督作品に出演している倍賞千恵子

 1977年の10月に公開されると大ヒットを記録した本作は、第1回日本アカデミー賞最優秀作品賞ほか主要5部門 ( 主演男優賞、助演男優賞助演女優賞、監督賞、脚本賞 )を受賞、その年、他の映画賞でも数々の賞を受賞した。

                           

 映画「幸福の黄色いハンカチ」を、私は何回も観ています。初めて観たのは……かれこれ40年くらいも前になりますが、その当時、飯田橋駅の近くにあった「佳作座」という名画座で、でした。その時、「幸福の黄色いハンカチ」と同時上映されていたのは、「幸福の黄色いハンカチ」同様に山田洋次監督作品の「遥かなる山の呼び声」だったと記憶しています。ちなみに、「遥かなる山の呼び声」は「幸福の黄色いハンカチ」同様に物語の舞台が北海道で、どちらも主演・高倉 健、高倉 健が演じる男の相手役・倍賞千恵子なので、「幸福の黄色いハンカチ」と「遥かなる山の呼び声」、この二つの映画は共通点が複数ある為に「どこか似ているなぁ」という印象を私は受けました。

 あ、そうそう、「遥かなる山の呼び声」といえば、その映画を、高倉 健が演じた役を阿部 寛、倍賞千恵子が演じた役を常盤貴子というキャスティングで、時代背景は昭和から令和 ( 作中の回想シーンでは平成ってことになるのかな? ) に置き換えて作られたドラマが先週の土曜日 ( 9/23 ) からNHK総合①で始まりましたね。毎週土曜の夜10時から49分の放送で、全話を4回に分けて完結……だったと思います。

「遥かなる山の呼び声」についてはこのくらいにしておいて、話を「幸福の黄色いハンカチ」に戻しましょう。

幸福の黄色いハンカチ」、この映画で主人公の男・勇作が出所して間もなくに大衆食堂でコップに注いだビールを両手で持って飲み干す場面があるのですが、その一杯は「風呂あがりの一杯」や「食後の一服」なんてものとは比べものにならないくらい旨いのだろうな、そんなふうに思わせるくらいの演技をそこで高倉 健は魅せています。ホントかウソかは知りませんが、そのシーン撮影に高倉 健は2日間も食事を断って臨んだそう。事実であったとしたら「〝 役者魂 〟というのは、そういうものなのだろう」と思うです。

 いやあ、とにもかくにも「幸福の黄色いハンカチ」のクライマックスには感動を覚えます。が、私はこの映画を何回も観ているうちに、ラストで幾枚もの黄色いハンカチが風にはためいていなかったとしたら絶望の淵にどっぷり沈む、そうなるのは悲しいけれど、そうなるのが作り事ではないリアルな現実なんじゃないか? 実際あんなハッピーエンドは、そうそう有り得ない。だから「幸福の黄色いハンカチ」は、人情ドラマふうに愛の奇跡を描いたファンタジー映画、そう思うようになりました。

 

 さて、ここからは新企画のコーナーです。いつ打ち切りになるかはわかりませんが、とりあえず今回から数回にわたり「Goです の “ 昭和あの日に帰りたい ”」というコーナーの中で漫画 ( 1コマだったり4コマ ) やイラスト付きショートエッセイのようなものをアップします。その第1回は1コマ漫画「ドっちゃん」です。

Goです! の “ 昭和あの日に帰りたい ” No.1「ドっちゃん」

 どうぞ次回もお楽しみに

 んじゃ、今回これにて失礼します。\( ^  0 ^ )

vol.10  過ぎた時間は戻らない

潮風に吹かれて

映画「ベンジャミン・バトン ~数奇な人生~

原題: The Curious Case of Benjamin Button

製作国:アメリカ合衆国

劇場公開日:2009年 2月7日(日本)

上映時間:2時間47分 監督:デヴィット・フィンチャー

原作:F・スコット・フィッツジェラル(短編小説より)

キャスト:ベンジャミン・バトン(ブラッド・ピット)

     12歳のベンジャミン(スペンサー・ダニエルズ)

     8歳のベンジャミン(チァンドラー・カンタベリー)

     6歳のベンジャミン(チャールズ・ヘンリー・ワイソン)

     デイジー・フューラー(ケイト・ブランシェット)

    7歳のデイジー(エル・ファニング)

     10歳のデイジー(マディセン・ベイティ)

     エリザベス・アポット(ティルダ・スウィントン)

     クイニー(タラジ・P・ヘンソン)

     その他……

 

解説・あらすじ 2005年、嵐が接近中のニューオーリンズ。病院で死の床に伏している老女デイジーは、娘のキャロラインに、ある日記帳を読み聞かせるように求める。その日記帳にはベンジャミン・バトンという男の人生が綴られていた。~ 1918年、バトン夫妻の間に老人のような顔をした赤ん坊が生まれた。その赤ん坊は老人ホームに捨てられ、そこを運営する女性クイニーに拾われてベンジャミンと名付けられる。ベンジャミンはクイニーが運営する老人ホームで育てられ、不思議なことに彼は年月が経つにつれて若返っていく。やがて少年期を迎えた彼は、かけがえのない存在となる少女デイジーと出会う……。~

 80歳の老人として生まれ、年を取るごとに若返る数奇な人生を与えられた男の一生を描くファンタジー・ドラマ。1922年に書かれたF・スコット・フイッツジェラルドの短編小説を基に、エリック・ロスロビン・スウィコードが脚本を執筆し、監督はデヴィッド・フィンチャーで、フィンチャー監督と主演のブラッド・ピットの2人にとっては「セブン」ファイト・クラブ」に続くコンビ作品となった。ベンジャミンの人生の伴侶デイジーを演じるのは「エリザベス」でセクシー&知的な若きエリザベスを演じたケイト・ブランシェット

 2008年の第81回アカデミー賞で3部門 ( 美術賞、視覚効果賞、メイクアップ賞 )を受賞。上映時間は167分で、話が長~い。

     

 主人公のベンジャミン・バトンは年を取るごとに若返ってゆく……。

 と、そういう奇妙な話だから突飛なエピソードが盛りだくさんの騒がしげな作品なのだろうと思っていたのに、予想に反して奇想天外のことが次から次へと起こるということはなく、始めから終わりまで物語のテンポは緩やか、そして地味な結末を迎えたので、エンドロールが流れ始めたときに思ったことは「意外と静かな映画だったな」でした。

 肉体年齢が80才くらいの衰えた身体で生まれたグロテスクな赤ちゃんベンジャミンは生後すぐに捨てられてしまうのですが、運良くその直後に拾われます。彼を拾って育てることにしたのは老人ホームのような施設で働く不妊症の黒人女性。

 で、その彼女がベッドで泣いているベンジャミンをあやしているときに「たどる道が違っても行く着くところは同じ」という場面があるのですが、映画の始めのほうで語られるこの言葉が「ベンジャミン・バトン」のテーマなのだということは観ているうちにじわじわと伝わってきます。

 ベンジャミンは死期の迫った老人から初老へ、そして中年、青年、少年へと若返ってゆき、最期は肌つるつるの赤ちゃんになって老衰して他界するのですが、その間には、普通に働いて普通に恋をして、一児のパパにもなります。

 と、自然界の法則とは逆回転の人生を歩むベンジャミンの生涯をこの映画では〝 彼の人生は普通の人と何ら変わりはなかったのです 〟というふうに描いています。

「ベンジャミン・バトン」では、彼が育った場所が老人ホームのような施設であったということもあって、何人もの人の死を淡々と描いてもいるのですが、そのことからも「たどる道が違っても行く着くところは同じ」ということは印象づけられます。〝 ああ、人それぞれに様々な生き方をしてきても皆やがて永遠の眠りに就くのだなあ 〟と……。

 つまり、この映画は〝 生まれてから死ぬまでのプロセスは人それぞれ異なるが、どんな人でも最期には死を迎える 〟ということを物語る作品なのであります。

 又、この映画は年を取るごとに若返ってゆくという超自然現象と年を取るごとに衰えてゆくという自然現象とを対比することにより、どんな生き方をしても過ぎた時間は戻らないものなのだということをやんわりと嫌味なく諭すものでもあります。

 最後に映画の内容とは関係ないことですけど、ベンジャミンを演じたブラッド・ピットは、その二枚目ぶりを披露するよりも特殊メークで老人&初老を演じている時間のほうが多かったように思われます。なので、ブラピ目当てに本作を観られようとする方はガッカリされるかも知れません。

  ※ここまではオリジナル小冊子「気ままにシネマ」収録コラム「過ぎた時間は戻ら    

   ない」をプチ修正しました。

 さて、時候の話になりますが、今年の夏は猛暑日てんこ盛りでクレイジーサマーって感じでしたね。( > _ < ; ) 9月になったらさ、少しは涼しくなるだろうと思っていたのに暑さはまだまだつづきそう……。で、残暑お見舞いです。

 では、今回これにて失礼します。\( ^ 0 ^ )

vol.9 笑って泣けて心あたたまる

潮風に吹かれて

映画「愛が微笑む時」

原題: Heart and Souls 製作国:アメリカ合衆国

劇場公開日:1994年 3月18日(日本)

上映時間:1時間44分 監督:ロン・アンダーウッド

原作:グレゴリー・ハンセン(短編映画より)

キャスト:トーマス・ライリー(ロバート・ダウニー・Jr)

       ハリソン・ウィンズロー(チャールズ・グローディン)

       ペニー・ワシントン(アルフレ・ウッダード)

       ジュリア(キーラ・セジウィック)

     マイロ・ペック(トム・サイズモア)

     運転席ハル(デヴィッド・ペイマー)

       アン(エリザベス・シュー)

     幼少のトーマス(エリック・ロイド)

     その他……

 

解説・あらすじ 4人のゴーストが青年の肉体を借りて生前出来なかったことや思い残していたことを果たそうとするファンタスティックな人情コメディ。グレゴリー&エリック・ハンセン兄弟の9分の短編映画を基に、「ショート・サーキット」シリーズのS・S・ウィルソンとブレント・マドックのコンビが脚色。監督は、ケヴィン・ベーコン主演のモンスターパニック映画「トレマーズ」のロン・アンダーウッド。製作は「フィールド・オブ・ドリームス」のジョーン・ダニエルとナンシー・ロバーツ。主演は「チャーリー」や「アイアンマン」のロバート・ダウニー・Jr

 1945年、サンフランシスコ。偶然乗り合わせたバスの事故で不遇の死を遂げた4人の男女 ( 歌手志望のハリソン、シングルマザーのペニー、こそ泥のマイロ、気のいいウエイトレスのジュリア )。この世に未練があって幽霊になった4人は、その時バスと正面衝突した自家用車の中で生まれた赤ん坊 ( トーマス )に取り憑き、その子の遊び相手になったりして見守ってゆくことになるが、トーマスの将来を考え、幼い彼の前から姿を消す。27年後、天国へ向かう期限が迫っていることを知った4人のゴーストたちは、やり手の銀行マンに成長したトーマスの前に再び現れ、「天国行きのバスで旅立つ前に、現世でやり残したことを果たしたい」と、各々の願いを打ち明ける。そして彼を夢の代行人に仕立てようとするが……。

 先日、DVDを借りてきて、久し振りに「愛が微笑む時」を観たのですが、この映画はやっぱり何回観ても面白いです

「愛が微笑む時」 ( 原題;Heart and Souls ) は、1993年にアメリカで製作されたロン・アンダーウッド監督の作品で、4人のゴーストが青年の肉体を借りて生きていたときに果たせなかったことに挑戦するというハートフルで笑いと涙あるファンタスティックなコメディ映画です。

 主演は「チャーリー」、「アイアンマン」のロバート・ダウニー・Jr

「愛が微笑む時」はホントいい映画ですので、機会ありましたら是非ご覧になってください

ここまではオリジナル小冊子「気ままにシネマ」収録コラム「笑って泣けて心あたたまる作品」をプチ修正しました。

 

 さて、立秋が過ぎて暦の上では秋ってことになりましたが、連日うだるような暑さがつづいていますですね。( >_< )

   “ もう勘弁してよ ”って感じの気温30℃超えの毎日、皆様いかがお過ごしですか。私は、なんとか熱中症にはならずにいますけど、酷暑にすっかりバテバテ、6月の下旬あたりからは萎れた植物のようになってぐったりヘロヘロ、つい最近までは何もする気にならずにいました。(  太宰治ふうに表現すると『ただ生きるのに精一杯でした』) で、7月はブログをアップするのサボってしまいました。f(^_^;)

 暑さに参って何もする気にならずにいた私を元気づけてくれたのは、お世話になっているY先生から数日前に宅急便で贈られてきたプチ時期はずれの中元でした。

 うれしかった

 それの中身は、じゃがいも、干し椎茸に切り干し大根でした。

 贈られてきた食材で、すぐに私は調理に取り掛かりました。

 まな板の上で包丁トントン、鍋で湯を沸かしたりしながら「美味しくなぁれ、美味しくなぁれ」と唱えてルンルンルン♪ 出来あがった料理は下3点の画像どおりなのだ。

 Y先生、贈って頂いた食材で料理を作って食べて元気を取り戻し、お陰様で「潮風に吹かれて」vol.9をアップさせられました。この場をお借りして、改めてお礼を申し上げます。ありがとうございます

 では、今回これにて失礼します。

 皆様、まだまだクソ暑い日はつづくとのことなので、お互いマジで熱中症にはくれぐれも気をつけましょう。

 ほな、ごッきげんよ~うッ!  \(^0^)

 

vol.8 立ち止まるな 振り向くな

潮風に吹かれて

映画「フィッシャー・キング

原題:The Fisher King  製作国:アメリカ合衆国

劇場公開日:1992 年4月 11 日 ( 日本 )

上映時間:2時間 17 分  監督:テリー・ギリアム
キャスト:ジャック・ルーカス ( ジェフ・ブリッジス )
     パリー ( ロビン・ウィリアムズ )
     リディア ( アマンダ・プラマー )
     アン ( マーセデス・ルール )
     ホームレスのキャバレー歌手 ( マイケル・ジェッター )
     ルー ( デヴィッド・ハイド・ピアース )
     ビデオ店の客 ( キャシー・ナジミー )
     傷痍 [ しょうい ] 軍人 ( トム・ウェイツ )

     その他……

解説・あらすじ  「バロン」、「未来世紀ブラジル」、「12 モンキーズ」等々の奇才テリー・ギリアム監督が、ヨーロッパに広く伝わるアーサー王伝説に登場する漁夫王 [ いさなとりのおう ] ( フィッシャー・キング ) のエピソードをモチーフに、独自の世界観で描くファンタスティックでハートウォーミングなヒューマンドラマ。
 映画「フィッシャー・キング」の舞台は本作が撮られた1991年頃のニューヨーク。銃乱射事件による惨劇や街に溢れる路上生活者という社会の暗い側面を題材として捉えつつ、コメディのテイストを随所に散りばめ、ラブロマンスを挿入したり要所要所で幻想を現実の中に交えたりしながら物語は進む。
 ジェフ・ブリッジス演じるジャックは、かつて人気ラジオDJだったが現在は落ちぶれて彼女の元でヒモ暮らしのような生活を送っている。ロビン・ウィリアムズ演じるパリーは、精神が病んで聖杯を探す使命を神から与えられたと語る妄想に憑かれた元大学教授のホームレス。その二人が出会い、奇妙な紆余曲折を経て、人生の表舞台から転落した男と男の間には友情が生まれ …… 。

 ジャックの彼女を演じるのはマーセデス・ルール、パリーが密かに恋心を寄せる女性を演じるのはアマンダ・プラマー。マーセデス・ルールは本作でアカデミー助演女優賞を受賞した。映画「フィッシャー・キング」は、マーセデス・ルールが受賞したアカデミー助演女優賞のほかに、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞 ( 監督賞 ) 、ゴールデングローブ賞のミュージカル・コメディ部門でロビン・ウィリアムズが主演男優賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞でマーセデス・ルールが女優賞を受賞している。

   

   もう4ヶ月くらい前になりますが、2月25日の土曜日に、東京に住んでいる友人とTOHOシネマズ池袋で「フィッシャー・キング」を観てきました。この映画は日本で封切られて30年以上も経ちますが、私は今回が初見でありました。「フィッシャー・キング」について、そんなタイトルの洋画あったなぁ …… と、おぼろげに記憶の隅っこに留めている程度だった私、どんな役者が出演していて監督が誰であるかも知りませんでした。ほぼほぼ予備知識ゼロで観覧に臨んだ「フィッシャー・キング」、なんだか胸にチクチクと痛みを覚えたり思わずクスクス笑ったりしているうちに温かい気持ちになってきて、後味グッドな作品でありました。( o^-'  ) b

 私はTOHOシネマズ池袋で「フィッシャー・キング」観覧中、銀幕に映るロビン・ウィリアムズ演じるホームレスのパリーに幾度となく心の中でエールを送りました。立ち止まるな振り向くな、立ち止まるな振り向くな と …… 。

 立ち止まるな振り向くな、立ち止まるな振り向くな 立ち止まるな振り向くな、立ち止まるな振り向くな 立ち止まるな振り向くな ………… と、ここからとんでもない方向に話は脱線します。

 “ たちどまるなふりむくな ” を「 立ち止まるな振り向くな」ではなくて「立ちどまるな  ふりむくな」って表記します。と、この字面 [ じづら ] を見て、ジュリーこと沢田研二のファン ( ファンだった方 ) 昭和歌謡造詣 [ ぞうけい ] のある方、あるいは沢田研二ファンでもなければ昭和歌謡に詳しくもないけれど偶々 [ たまたま ] その曲名を知っていた方は「ああ、あの歌のことね」なんていうふうにピピッと反応されたのではないでしょうか。

 そう、「立ちどまるな  ふりむくな」( 作詞:阿久悠 作曲・編曲:大野克夫 ) は、昭和51年 ( 1976 ) 1月21日にリリースされた沢田研二の15枚目のシングルレコードです。

 沢田研二が「 立ちどまるな  ふりむくな 」の前にリリースしたシングルレコードは、「時の過ぎゆくままに」( 作詞:阿久悠 作曲・編曲:大野克夫 1975年8月21日に発売 ) 。この楽曲は、昭和50年6月から同年9月にTBS系列で放映された沢田研二主演のドラマ「悪魔のようなあいつ」の挿入歌として使用されました。

悪魔のようなあいつ」は、昭和43年 ( 1968 ) 12月に発生した3億円強奪事件をベースにして作られた物語で、ドラマの各回エンディングには「三億円事件  時効まで  あと〇〇日」というテロップが表示されていました。全編にエロと退廃の匂いが漂っていて人間関係ぐちゃぐちゃ、そんなような作品だったと記憶しています。で、「悪魔のようなあいつ 」が放映されていた当時、異性への関心が高まり始めていた小学5年生の私は、どろどろとした過激な性描写があったりするそのドラマを親の目を盗んで見ていました。

 ドラマ「悪魔のようなあいつ」の各回エンディングに表示されていたテロップの文言 [ もんごん ] は、前記したとおり「三億円事件  時効まで  あと〇〇日」でありますが、この文言の “ 三億円事件  時効 ” ってところを “ 地球の滅亡 ” or “ 人類滅亡 ” に変換すると、昭和49年 ( 1974 ) 読売テレビ制作・日本テレビ系列で放映されたアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の各話ラストに表示されていたテロップの文言になります。

 ここまでに取り上げた二つのテロップの文言、小学生だった私には大変インパクトがあって強く印象に残りました。だからなのでしょう、私は「××まで  あと〇〇日」というフレーズを目にしたり耳にしたりすると、ドラマ「悪魔のようなあいつ」とアニメ「宇宙戦艦ヤマト」、双方のエンディングに流されていたテロップの文言、それらが50半ばを過ぎた今になってもちらっと脳裏に浮かびます。ひょんなことからひょんなことが思いついてひょんな思考を巡らす傾向がある私。だ・か・ら、映画「フィッシャー・キング」随想録っぽいものを綴っていたのに、“ 立ち止まるな振り向くな ” ってワードに端を発して話をどんどこ脱線させちゃって、こんなふうに取り留めのない文章をたらたらと書き連ねちゃっている次第。f ( ^_^ ; ) 

 で、話をどんどこ脱線させちゃっている取り留めのない文章、それはもう少し続くです。

 ドラマ「悪魔のようなあいつ」とアニメ「宇宙戦艦ヤマト」の双方で各回エンディングに用いられていた「××まで  あと〇〇日」というフレーズのテロップ、それと同じくらい印象に残っている劇中テロップがあります。それは「スタートレック」シリーズ各エピソードの冒頭で簡単な状況説明を語るナレーションと共に流れる「航星日誌 宇宙暦 〇〇.〇」というテロップ。私は、宇宙船U.S.S.エンタープライズ号が宏大無辺の宇宙空間に浮かんでいる場面に「航星日誌 宇宙暦 〇〇.〇」というテロップが表示される冒頭が好きでした。無性に好きでした。「スタートレック」シリーズ各話オープニングのシーン、私はたまらなく好きでした。なぜだか …… なぜだかわかりませんが、好きでした。

 さて、話を映画「フィッシャー・キング」随想録っぽいものへ戻しましょう。

 立ち止まるな振り向くな、立ち止まるな振り向くな 立ち止まるな振り向くな、立ち止まるな振り向くな 立ち止まるな振り向くな ………… 立ち止まるな振り向くな、俺 と、ホームレスのパリーに送っていたはずのエールは、いつしか自分を𠮟咤激励 [ しったげきれい ] する心の声となり、自身へのエールに変わりました。そんな心境の変化を生じさせた「フィッシャー・キング」は、現代社会にヘロヘロくたびれた人に活力を与える映画だなぁって思います。( o^-'  ) b  ( o^-'  ) b  ( o^-'  ) b

 ところで、先々月の4月19日㈬に映画「シン・仮面ライダー」を観ました。劇中に登場する仮面ライダーは〝 おっ、カッコイイ 〟って思えて良かったですけど、作品全体の感想、ワタクシ的には〝 残念 〟っていうふうありました

 あくまでも、あくまでもワタクシの個人的な感想です。m(   _   _   )m

 では、ごきげんよう

 まったねぇ~。\ ( ^ 0 ^ )










vol.7 想い出がいっぱい in 立山《 後編 》

前回、画像添付データ容量がオーバーしてしまった都合により、まだまだ張り付けるつもりでいた画像をアップすることが出来なくなり、途中から文章だけとなってしまいました。その後、画像添付データ容量オーバーの問題はクリアーされました。な・の・で、このブログは、前回をもって終了ってことにはならず、継続します。で、今回の vol.7は、 “ 想い出がいっぱい in 立山《 後編 》” ということにして、前回の文章だけとなってしまったあたりからラストまでの間に画像添付して再編集、そうしたものとさせて頂きます。m ( _ _ ) m

 

【入笠山】

 入笠山は、長野県の中西部 (  長野県伊那市諏訪郡富士見町  ) にある赤石山脈 (  南アルプス  ) 北端の標高1,955mの山。その山頂からは、南・中央アルプス八ヶ岳はもとより富士山や、遠くは北アルプスなども眺められる。

      

入笠山 山頂付近からの眺め【平成29年 (  2017  ) 11月6日

   

 今回は、なんだか無理くり雑報を詰め込みすぎちゃったって感じ。次回は、ボリューム少な目にまとめようと思います。とにもかくにも今回もご高覧いただき有り難う御座いました。m ( _ _ ) m

 では、失礼します。

 ごきげんよう


追記 タイトルを “ 想い出がいっぱい in 立山《 後編 》” としているのに立山に関する記事を本文中で挙げていなかったので、もう20年以上も前のものになりますが、立山浄土山・山頂付近で撮った超お気に入りの1枚を下に添付して今回おしまいとすることにしたです。

北アルプス立山浄土山の山頂付近にて

 ではでは、失礼します。

 ごッきげんよう






vol.6 想い出がいっぱい in 立山

潮風に吹かれて

立山みくりが池温泉

立山

 神の立つ山が山名の由来ともいわれている立山は、北アルプス( 飛騨山脈 )北部にあり、中部山岳国立公園を代表する雄大な群峰で、狭義の立山は雄山( おやま )、大汝山( おおなんじやま )、富士ノ折立( ふじのおりたて )の三峯を指し、これらは立山本峰( たてやまほんみね )と称される。広義の立山は南の浄土山( じょうどさん )、北の別山( べっさん )を含み、浄土山、雄山、別山を合わせて立山三山と称する。

 立山三山は、阿弥陀「過去」、釈迦「現在」、弥勒( みろく )「未来」の三世諸仏に擬( なぞら )える。

立山」は、称名川から弥陀ヶ原、室堂や地獄谷、立山カルデラなど立山一帯を含んだ地理的な広がりと、立山信仰や遥拝( ようはい )登山など精神的な広がりを含んだ複合的な意味を持っている。開山縁起に始まり、立山三山や剣岳などから立体的な立山曼荼羅( まんだら )を形勢し、精神的な信仰世界を体現させている。

 立山は、北方では剣岳や毛勝山、南方では薬師岳方面へと連なっているが、これらの山々を含む山脈を立山連峰と呼び、立山はこの連峰の最高峰となっていて、日本三名山日本三霊山日本百名山新日本百名山、花の百名山などに選定され、富山県のシンボルの一つとされている。

立山黒部アルペンルート

 立山黒部アルペンルートは、標高3,000m級の峰々が連なる北アルプスを貫き、富山と長野を結ぶ世界有数の山岳観光ルートで、総延長37.2㎞、最大高低差1,975m。そのほぼ全区間中部山岳国立公園内にある。富山県側の立山町立山駅」から長野県側の大町市扇沢駅」まで、高原バスやロープウェイ、ケーブルカー、トロリーバス等々、6つの乗り物を乗り継ぎ、様々な景色が眺められる。標高によって様相の変化が楽しめる美女平 ~ 室堂を走る立山高原バスとダイナミックな360度のパノラマが展望できる立山ロープウェイは、悪天候の場合を除き、北アルプス大自然を満喫できる。

 立山黒部アルペンルート内は一般車両通行禁止になっている。

みくりが池温泉・みくりが池周辺トレッキング】

 立山黒部アルペンルートの最高所、室堂ターミナル( 標高2,450m )がある室堂平は立山カルデラから流出した溶岩によって誕生した溶岩台地である。立山黒部アルペンルートが春に除雪されて開通すると、室堂ターミナル付近の道路は両側が高さ10mから20mくらいの雪の壁になって「雪の大谷」と呼ばれている。室堂平は、「雪の大谷」に象徴されるように、立山黒部アルペンルートの開通時からゴールデンウィーク頃まではまだ雪原である。なので、軽装で散策を楽しめるのは高山植物が開花する初夏以降になる。

 高原の雪解けが進み、花のシーズンを迎えると室堂平の風景は様々な高山植物に彩られて美しさを増す。そんな風景の中で気軽なトレッキングをエンジョイしたいと思う人には、みくりが池1周の散策コースがオススメである。

 みくりが池の“  みくり ”は、漢字表記すると「御厨」と書く。“  御厨  ”とは、神に捧げる料理を作る場所すなわち神の厨房ということ、そして、みくりが池の水は立山権現に供えられて神に捧げる料理を作る際に使われたという言い伝えがあり、その言い伝えが「みくりが池」という池名になった由来である。

 みくりが池は、室堂ターミナルから西北に500mほどのところにあり、室堂平で最大・最深の池である。面接は約30,000㎡、池の深さは15mほど、池の周囲の長さは631m。春山の残雪期には完全氷結していることもあり、夏山シーズンに入っても一部で氷結が見られることもある。秋山の紅葉の時季には、立山三山の三段紅葉を水面に映す絶景スポットになる。立山火山の火口湖であり、周辺には「みどりが池」や「りんどう池」、「血の池」などの火口湖群が点在していて、池の北西の畔の標高2,430m地点には日本最高所の温泉宿である山荘「みくりが池温泉」がある。

 みくりが池温泉は、宿泊、食堂、喫茶、日帰り入浴の利用が可能で、ゆっくりと山々を眺めながら温泉に浸かれる展望内湯が男女別々にあり、その温泉の源泉は地獄谷、白く濁る硫黄の香りの掛け流しの湯が心身をまったりと癒してくれる。

 みくりが池1周の散策コースは設置されている遊歩道の進み方次第では幾通りもあるが、ここで紹介するオススメのコースは、まず室堂ターミナルから少し足を延ばし、みくりが池の南岸にある展望園地へ進む。そこからみくりが池の湖畔を時計回りに進行、やや急な石段の遊歩道を下り、池の水面に映る立山を間近に見ることができるビュースポットに着いたら地獄谷の方へは行かず、眼前に建つ山荘みくりが池温泉方面へ前進、みくりが池温泉を横切ったら閻魔台( えんまだい )へ、それから血の池を眼下に見える緩やかなアップダウンが続く遊歩道を進み、みどりが池の脇を通って広々と拡がっている山稜を眺めながら立山室堂山荘の前へ、その辺りから平坦な石畳になっている遊歩道をのんびり歩いてトレッキングの起点とした室堂ターミナルへ戻ってフィニッシュ。このみくりが池1周の散策コースは、歩くペースや小休止の取り方などで所要時間は変わるが、何かアクシデントがあったり、よほどの悪天候でもない限り、概ね1時間30分もあれば気軽に周れる。しかし、気軽なトレッキングとはいえ、室堂平は真夏でも涼しい高山にあり、山の天気は変わりやすいから、くれぐれも天候の変化には用心が必要である。

       

 今回は、前回同様、映画に関する記事ではなく、もう5年と4ヵ月ほど前の平成29年の11月に、みくりが池温泉60周年を祝して開催された「みくりが池温泉OBOG会」に出席してきたときのこと ( みくりが池行き帰りの道中でのことも含む ) を、そのときに撮った写真数枚を用いてお伝えします。

 私、すッごぉ~く長い間フリーターをしていたことがありまして、そのすッごぉ~く長い間フリーターをしていた頃の間に、どのくらいだったかは正確に記憶していないけど、かなりの年数みくりが池温泉でスタッフの一員として働かせていただき、立山には想い出がいっぱいあるですよ。

 富山へ向かう途中、ちょろっと寄った道の駅「甲斐大和」では鮮やかな紅葉を目にして、秋だなぁって思ったです。けど、その翌々日、立山の室堂に来てみると辺り一面は雪に覆われていて、いきなり真冬へ突入だーッ ってなふうになり、さすが標高2,000mを超える山の上は別世界 と感心したです。

みくりが池温泉テラスからの眺め【平成29年 ( 2017 ) 11月5日】

 立山日本三霊山に選定されているし、周りには浄土山とか大日岳という山などがあったりすることから、私は立山に足を踏み入れると、チラリとではあるけど、天国と地獄を思い浮かべたりする。

 で、天国と地獄についてですが、たまたま今読んでいる小説に天国と地獄のことを登場人物が語るってところがありまして、そこを読んだときに私は「うーん……」と少し考えさせられ、考えさせられつつも胸がジーンとなり、その箇所というのは下記の通りです。

 

 運転手の話し方は感情を押し殺すように淡々としていて、その響きが余計哀しさを胸の奥まで運んでくる。

「宗教のことはよく分かりませんが、人は死んだ後、善人は天国へ悪人は地獄へ行くと申しますでしょう、でも私はどんな人も天国へ行くのだと思います」

「悪人も天国へ?」

「はい、地獄というのは、人の心の中にだけあるものなのではないでしょうか? 私はそう思います」

 その通りかもしれない。妬みや強欲、そういった醜いものが、人の心には渦巻いている。

「妻が言っていたように、人は亡くなって星になるのなら、それは空へ昇るということですものね。空には天国しかありません。それに……過ちを犯したとはいえ、娘が地獄に堕ちたと思うのは、親として忍びないです。たとえどんな小さな星だとしても、すべてを許され、光っていると信じたいですから……」

 運転手にとって、二十年以上経った今も、娘を失った悲しみは鋭い棘となり心の襞に刺さっている。

       双葉文庫 森 浩美 著「家族の言い訳」収録「星空への寄り道」より抜粋

 

「星空への寄り道」、なかなかグッドなタイトルですね。星空といえば、ガスったりしていない立山の夜空は、めっちゃキレイです 私、みくりが池温泉で働かせていただいていた頃、晴れている夜にはよく星空を見にエンマ台へ行っていました。天の川銀河はくっきり大きく見えるし、ヤバイって思えるほど、ホント星がいっぱい見られるんです

 で、ここでまた森浩美さんの「星空への寄り道」からの抜粋になるのですが、その作中に“ 頭の上には星空というより宇宙が広がっていた。 ”という文があり、そこのところを読んだとき、「へぇ、やっぱり小説家はうまい表現するなぁ」と私は思ったです。

 森浩美さんの「家族の言い訳」っていう短編集は良いですよ。アレ? 本の宣伝みたいになっちゃった。もとい、なにはともあれ立山は良い所ですよ。

 あ! そうそう、それからね、藤子・F・不二夫のSF短編作品「宇宙人」の中で登場人物が夜空を見上げて星に願いをっていうようなところがありまして、それが下のカットなのですが、この場面が私は大好きです。

    

 おっと、また脱線してしまいました。話題を立山に戻します。

 立山。私が初めて立山・室堂の土を踏んだのは、もう30年以上も前のことになり、20半ば過ぎぐらいだったと思います。それがいつだったかの記憶は曖昧なのですが、立山・室堂からの眺めを初めて目の当たりにしたときの感動は鮮明に覚えています。そのとき、私は「うわあ、すッげえ 日本にもこんな雄大な景色が拡がるところあったんだ、映画やテレビで見る外国の山岳観光地みたいじゃん」と思って目を見開きました。

 で、で、で、くどいようですが、立山は本当に良い所です。

 5年と4ヵ月ほど前の平成29年の11月に開催された「みくりが池温泉OBOG会」は、懐かしい人たちとぺちゃくちゃいろんなことを語り合ったりして、楽しい宴でした。

 5年……若い頃は5年前といえば随分と昔のことのように思えたものだけど、この頃では5年前なんて最近のことって思える。時間の感覚は年齢によって変化するものですね。

 と、それはさておき、「みくりが池温泉OBOG会」の翌日、見渡す限り雪が積もっている室堂の景色を眺めながらみくりが池周辺をぐるりと回った後、立山黒部アルペンルートを利用して下界へ降り、電鉄富山立山駅の無料Pに停めておいた愛車のダイハツハイゼットに乗り込んで帰路に就きました。ちょろちょろと寄り道をするのが好きな私は帰る道すがら、道の駅「信州 蔦木宿」で小休止したり、入笠山 ( にゅうがさやま or にゅうかさやま ) へ行ったりしたですよ。

 富山へ向かう途中に寄った道の駅「甲斐大和」で鮮やかな紅葉を目にした、同様に、帰途に寄った道の駅「信州 蔦木宿」でも鮮やかな紅葉を見ること出来ました。入笠山の山頂からはですね、八ヶ岳そのほかの山々に富士山もくっきりと望むことが出来ました。

【入笠山】

 入笠山は、長野県の中西部 (  長野県伊那市諏訪郡富士見町  ) にある赤石山脈 (  南アルプス  ) 北端の標高1,955mの山。その山頂からは、南・中央アルプス八ヶ岳はもとより富士山や、遠くは北アルプスなども眺められる。

 

画像添付データ容量がオーバーしてしまった都合により、まだまだ画像を張り付けるつもりでいたのですが、今回これからラストまで文章だけとなります。ちなみに、画像添付データ容量オーバーの問題がクリアーされない場合、このブログは今回をもって終了ってことになるかも知れません。

 

 今回は、なんだか無理くり雑報を詰め込みすぎちゃったって感じ。次回は、ボリューム少な目にまとめようと思います。とにもかくにも今回もご高覧いただき有り難う御座いました。m ( _ _ ) m

 では、失礼します。

 ごきげんよう

vol.5 絶景あります!外房・鵜原理想郷

潮風に吹かれて

鵜原理想郷・鵜原海岸

 鵜原理想郷は、千葉県勝浦市鵜原の太平洋に面した勝浦湾の西側に突出する明神岬周辺の景勝地であり、岬一帯は荒波に浸食された典型的なリアス式海岸になっている。青く拡がる海に突き出た岬には美しく豊かな自然が残っていて、大正時代には当地を別荘地として開発する計画があり、それがここを“ 鵜原理想郷 ”と呼称するようになった由来とされている。南房総国定公園の一角に位置する鵜原理想郷には風光明媚な景観があり、その優れた土地に惹かれて多くの文化人などが訪れている。特に与謝野晶子は、昭和11年の4月から5月に友人らと当地に滞在し、「鵜原崎緑の百合をわれ定む海より来たる雨の染めぬと」、「春の風岩穴ならび洞門のつづく岬をことやうに吹く」、「松の花鞭を当てなば金色の雲たちまちに被はん岬」等々76首の歌を詠んでいる。又、三島由紀夫も短編小説「岬にての物語」作中で鵜原理想郷を絶賛している。

 JR鵜原駅から南へ歩いて約10分のところに鵜原理想郷ハイキングコース利用者専用の無料駐車場があり、そこが鵜原理想郷ハイキングコースの起終点となっている。

 ※ 鵜原海岸側には鵜原理想郷ハイキングコース利用者専用の無料駐車場はない。

 鵜原海岸は、鵜原理想郷に隣接している湾内にあり、遠浅で沖までの120mが遊水区域になっている。ここは、周囲が複雑に浸食された崖や岩などに囲まれていて景色が素晴らしく、「日本の渚・百選」に選定されているうえに海水の透明度が高いことから“ 関東の沖縄 ”とも呼ばれている。

 今回は、映画に関する記事ではなく、ぶらっと小旅行してきたことをちゃちゃっとお伝えします。

 先月、1月6日の金曜日に、横浜に住んでいる友人と、ちょこっと遠くへ出掛けようってことになり、千葉県・外房の勝浦にある景勝地鵜原理想郷へ行ってきました。そこがどういう所であるかは、前述の《鵜原理想郷・鵜原海岸》箇所で、ざっくり記したとおりです。

鵜原理想郷 ( 手弱女平“ たおやめだいら ” ) からの眺め

 鵜原理想郷には磯が広がるエリアもありまして、そこは、時間にもよりますが、だいたい波が穏やかですから、小さいお子さんを連れての磯遊びにはうってつけの場所だと思います。

            鵜原の海はマジで超きれいッ

 ぶらっと鵜原理想郷へ行ってきたことをお伝えする記事、以上です。

 で、今回のブログこれでおしまい、それじゃあ物足りなさを感じるから、この場をお借りして、“「100」にまつわるエトセトラ ”という題名の400字詰め原稿用紙3枚分くらいの文字数でまとめた雑文 ( とある作文コンテストに応募するつもりでいたけど締め切りに間に合わず投稿できなかった読み物 ) を発表させていただきます。

 「100」にまつわるエトセトラ、目を通していただけたら幸いです。

 

「100 」にまつわるエトセトラ 

100 100 」という数字を目にするなり耳にするなりして頭に思い浮かべることって何だろう? と考えてみたところ、まず最初に私の頭に思い浮かんだのは「インデアンのふんどし」という言葉だった。

「インデアンのふんどし」この言葉を「ンデアンのふんどし、インデアンのふんどし、インデアンのふんどし……」と10回つづけて言うと100数えたことになり、小学生の頃、東京の蒲田に住んでいた私は、悪漢探偵( 私が住んでいた地域では『あっかん』と略していた )や缶蹴り等々の遊びで100を数える側になった際には「いち、にい、さん、し……」と数える代わりに「インデアンのふんどし」という10文字の言葉を10回たてつづけに唱えていた。

100 」という数字から次に私が思い浮かべたのは、これまた古い、ずいぶん昔のことになるが、「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません。あしからず」というテレビCMのキャッチコピーだった。このテレビCMが放映されていたのは、私が小学生の五年生か六年生だった頃と思うから、ざっと45年以上も前になる。アラ還(『アラウンド還暦』の略 )にもなると思い浮かべることは昔のことばかり、そういうものなのかな……と、今ちらっと思って束の間トホホな気分に浸ってしまった。

100 テストで100点を取ったことがない、「100万長者」という言葉があるけど100万円を持っていて長者呼ばわりされるのは昔のことだよね。絵本の100 万回生きたねこ」に100 万本のバラ」という歌も100 という数字から思い浮かんだのだが、どれもこれも過去のものっぽい。100 」という数字から今風っていうか未来志向的に思い浮かぶことはないのだろうかと考えあぐねてみたら、あった、あった、ありましたよ、100 」という数字から思い浮かぶ未来志向的な言葉!

 それは、なかなか今風でありまして、ここ数年よく見たり聞いたりする「人生100年時代」って言葉。

「人生100年時代」であるならば、アラ還の私にはまだ寿命が40年あるってことになる。その40年を健康で丈夫に過ごせたならば、きっと人生まだまだ楽しめるはず! そう信じて100まで健康で丈夫に生きるってことを目標にする。

 と、ここまでダラダラと書き連ねたこと、お粗末だけど、これが「100 という数字から私が思い浮かべること、100 にまつわるエトセトラ、でした。

 みなさん、がんばって100まで健康で丈夫に生きましょう!

 

 ご高覧いただき有り難う御座いました。m ( _ _ ) m

 では、今回これにて失礼します。

 ごきげんよう

「100 」にまつわるエトセトラ

 

潮風に吹かれて