潮風に吹かれて
映画「真夜中のカーボーイ」
原題: Midnight Cowboy 製作国:アメリカ合衆国
原作:「真夜中のカウボーイ」(ジェームズ・レオ・ハーリヒー)
劇場公開日:1969年 10月18日(日本)
上映時間:2時間1分 監督:ジョン・シュレシンジャー
音楽:ジョン・バリー 挿入歌:「うわさの男」(歌:ニルソン)
キャスト:ジョー(ジョン・ヴォイト)
ラッツォ(ダスティン・ホフマン)
キャス(シルヴィア・マイルズ)
オダニエル(ジョン・マクギヴァー)
シャーリー(ブレンダ・ヴァッカロ)
タウニー(バーナード・ヒューズ)
サリー(ルース・ホワイト)
アニー(ジェニファー・ソルト)
その他……
解説・あらすじ 自身の肉体と美貌を武器に金持ち女性の相手をして富と名声を手に入れようと、テキサスの片田舎からニューヨークに出てきた青年ジョー ( ジョン・ヴォイト ) 。カウボーイスタイルに身を固めた彼は女を引っ掛けて金を要求するが、逆に金をふんだくられる。その女は名うての娼婦だったのである。現実は厳しく、カウボーイを気取る彼の夢は遠のいていくばかり。そんなジョーの前に、足の不自由な詐欺師ラッツォ ( ダスティン・ホフマン ) が現れる。2人は共に底辺から這い上がろうともがくうちに奇妙な友情で結ばれていくが、ラッツォは深刻な病に侵されていた。日増しに病状が悪くなっていくラッツォは温暖なフロリダ移住の夢を語る。ジョーは、ラッツォの願いを叶える為、男色の学生の相手をしたり商用でニューヨークに来た男のホテルに行ったりして金を稼いだ。そしてジョーとラッツォの2人は、太陽と新しい生活を求めて、マイアミ行きの長距離バスに乗ってフロリダへ向かうが……。
舞台出身のジョン・ヴォイトと映画「卒業」でスターになったダスティン・ホフマン共演によるアメリカン・ニューシネマの名作。ジェームズ・レオ・ハーリヒーの小説「真夜中のカウボーイ」をウォルド・ソルトが脚色。監督はジョン・シュレシンジャー。カウボーイというアメリカの〝 これぞ男! 〟という神話を崩壊させる〝 ヒーロー不在 〟の青春映画。第42回アカデミー賞で作品賞・監督賞・脚色賞を受賞した。
本作品の邦題は本来ならば「真夜中のカウボーイ」であるが、当時ユナイト映画 ( ユナイテッド・アーティスツの日本法人 ) の宣伝部長であった水野晴郎が「都会的な雰囲気を演出したかった ( Car = 自動車 = 都会の象徴 ) 」ことを理由に「カーボーイ」としたものがそのまま邦題となった。また、本作品の挿入歌は当初ボブ・ディランにオファーしていたが間に合わなかった為、ニルソンが歌う「うわさの男」が使用されることになった。
映画「真夜中のカーボーイ」を私が初めて観たのは、かれこれ40数年も前で、15か16の頃でした。当時、日曜日と水曜日と金曜日 ( だったかな? ) の各曜日いずれも異なる民放テレビ局で、夜9時くらいから映画を放映する番組がやっていて、その3つの映画番組のどれかで私は「真夜中のカーボーイ」を初めて観たのです。
映画「真夜中のカーボーイ」、15か16の私には話の内容が難しいと感じられました。だからだったのでしょう、作品ストーリーは記憶に薄く、挿入歌として用いられたニルソンが歌う「うわさの男」だけが印象に残りました。
軽快なメロディで心地よく響く「うわさの男」、その歌が強く心に残ったのは曲が良いというのはもちろんですが、ほかにちょっとしたことがありました。それはですね、本当にちょっとしたことですけど、「ああ、そういうことってあるね」と思われるようなアルアル話なので、どういうことだったか書き付けておきます。
私が初めて映画「真夜中のカーボーイ」を観た頃、その時はまだ誰が歌う何て曲だか知りませんでしたが、ニルソンが歌う「うわさの男」を使用するビールのCМ ( 銘柄はキリンのライトビールだったと思う ) がテレビで流れていて、そのコマーシャルを見るたびに「このCМで使われているBGMは何て曲だろう? いい歌だなぁ」と私は思っていたから、その曲が「真夜中のカーボーイ」作中で流れるのを聞いたときには「あッ! あのCМで使われている歌だ !! 」と、探し物を見つけられたときのような嬉しい気持ちになりました。そんなことからその挿入歌が強く記憶に残ったのです。
数年後、高田馬場だったか飯田橋だったか東京のどっかの名作座 ( 新しい映画を初めて上映する封切り館ではなく、古い作品を上映する映画館で、いわゆる二番館 ) でリバイバル上映されていた「真夜中のカーボーイ」を観ました。その時の私は20いくつかになっていて、15か16の頃よりは物語の筋が理解できました。「ふーん、現代社会の影の部分をあぶり出すような話だったんだ」と思いました。作中、20いくつかになって再び観た時に気づいたことなのですが、ニューヨークに住む貧困層の人たちの中で、輸血用の血液を提供することによって金を得る人々の姿が映されます。その場面を見た時、エイズ蔓延の一因を垣間見たように感じられてゾッとしたことを覚えています。私が東京のどっかの劇場で「真夜中のカーボーイ」を再び観たのは80年代の半ばぐらいだったかな、その頃エイズが巷でクローズアップされるようになり、新型コロナのように緊急事態宣言が発令されるほどの騒ぎにはならなかったものの世界は一時期エイズによって恐怖に包まれた。映画「ジャイアンツ」( 1956年 ) でエリザベス・テイラーやジェームズ・ディーンと共演したロック・ハドソンもイギリスのロックバンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーも死因はエイズ感染だったもんね……。
ま、映画に限らず読書とかもそうなんだけど、10代や20代や30代……と、同じものでも世代・年代によって見方って変わったりしますね。
で、今ふと思ったんです。初老になった私は「真夜中のカーボーイ」をどう受け取るだろうかって。そんなふうに思ったから、おそらく私は近々その映画をちょー久し振りに観るでしょう ( やっぱいいやって気が変わって観ないかも知れない ) 。f ( ^_^ ; )
ところで、もう2月ですね。けど、まだ寒い。ああ、早く暖かくならないかな。春が待ち遠しいですゥ。
さて、「Goです! の“ 昭和あの日に帰りたい ”」のコーナーです。
今回は48年前の辰年・昭和51年 ( 1976 ) にスポットを当てて、その当時の様子をサクッと振り返るですよ。薄っぺら~くサクッとね。
じゃ、またね。
ごっきげんよ~ッ!