潮風に吹かれて

Goです!  海辺に住んでいます。そんなことから、このブログのタイトルを「潮風に吹かれて」としました。  映画を観ること、どこかへぶらっと出掛けること、それから山歩きすることが好きです。ブログ「潮風に吹かれて」では映画を観ての感想や山行をふくむ旅先での出来事などをネタにした記事を発信していきます。    つたない文章で読みづらいと感じられることがあると思われますが、なにとぞヨロシクです! m( _ _ )m

潮風に吹かれて

vol.5 絶景あります!外房・鵜原理想郷

潮風に吹かれて

鵜原理想郷・鵜原海岸

 鵜原理想郷は、千葉県勝浦市鵜原の太平洋に面した勝浦湾の西側に突出する明神岬周辺の景勝地であり、岬一帯は荒波に浸食された典型的なリアス式海岸になっている。青く拡がる海に突き出た岬には美しく豊かな自然が残っていて、大正時代には当地を別荘地として開発する計画があり、それがここを“ 鵜原理想郷 ”と呼称するようになった由来とされている。南房総国定公園の一角に位置する鵜原理想郷には風光明媚な景観があり、その優れた土地に惹かれて多くの文化人などが訪れている。特に与謝野晶子は、昭和11年の4月から5月に友人らと当地に滞在し、「鵜原崎緑の百合をわれ定む海より来たる雨の染めぬと」、「春の風岩穴ならび洞門のつづく岬をことやうに吹く」、「松の花鞭を当てなば金色の雲たちまちに被はん岬」等々76首の歌を詠んでいる。又、三島由紀夫も短編小説「岬にての物語」作中で鵜原理想郷を絶賛している。

 JR鵜原駅から南へ歩いて約10分のところに鵜原理想郷ハイキングコース利用者専用の無料駐車場があり、そこが鵜原理想郷ハイキングコースの起終点となっている。

 ※ 鵜原海岸側には鵜原理想郷ハイキングコース利用者専用の無料駐車場はない。

 鵜原海岸は、鵜原理想郷に隣接している湾内にあり、遠浅で沖までの120mが遊水区域になっている。ここは、周囲が複雑に浸食された崖や岩などに囲まれていて景色が素晴らしく、「日本の渚・百選」に選定されているうえに海水の透明度が高いことから“ 関東の沖縄 ”とも呼ばれている。

 今回は、映画に関する記事ではなく、ぶらっと小旅行してきたことをちゃちゃっとお伝えします。

 先月、1月6日の金曜日に、横浜に住んでいる友人と、ちょこっと遠くへ出掛けようってことになり、千葉県・外房の勝浦にある景勝地鵜原理想郷へ行ってきました。そこがどういう所であるかは、前述の《鵜原理想郷・鵜原海岸》箇所で、ざっくり記したとおりです。

鵜原理想郷 ( 手弱女平“ たおやめだいら ” ) からの眺め

 鵜原理想郷には磯が広がるエリアもありまして、そこは、時間にもよりますが、だいたい波が穏やかですから、小さいお子さんを連れての磯遊びにはうってつけの場所だと思います。

            鵜原の海はマジで超きれいッ

 ぶらっと鵜原理想郷へ行ってきたことをお伝えする記事、以上です。

 で、今回のブログこれでおしまい、それじゃあ物足りなさを感じるから、この場をお借りして、“「100」にまつわるエトセトラ ”という題名の400字詰め原稿用紙3枚分くらいの文字数でまとめた雑文 ( とある作文コンテストに応募するつもりでいたけど締め切りに間に合わず投稿できなかった読み物 ) を発表させていただきます。

 「100」にまつわるエトセトラ、目を通していただけたら幸いです。

 

「100 」にまつわるエトセトラ 

100 100 」という数字を目にするなり耳にするなりして頭に思い浮かべることって何だろう? と考えてみたところ、まず最初に私の頭に思い浮かんだのは「インデアンのふんどし」という言葉だった。

「インデアンのふんどし」この言葉を「ンデアンのふんどし、インデアンのふんどし、インデアンのふんどし……」と10回つづけて言うと100数えたことになり、小学生の頃、東京の蒲田に住んでいた私は、悪漢探偵( 私が住んでいた地域では『あっかん』と略していた )や缶蹴り等々の遊びで100を数える側になった際には「いち、にい、さん、し……」と数える代わりに「インデアンのふんどし」という10文字の言葉を10回たてつづけに唱えていた。

100 」という数字から次に私が思い浮かべたのは、これまた古い、ずいぶん昔のことになるが、「100円でカルビーポテトチップスは買えますが、カルビーポテトチップスで100円は買えません。あしからず」というテレビCMのキャッチコピーだった。このテレビCMが放映されていたのは、私が小学生の五年生か六年生だった頃と思うから、ざっと45年以上も前になる。アラ還(『アラウンド還暦』の略 )にもなると思い浮かべることは昔のことばかり、そういうものなのかな……と、今ちらっと思って束の間トホホな気分に浸ってしまった。

100 テストで100点を取ったことがない、「100万長者」という言葉があるけど100万円を持っていて長者呼ばわりされるのは昔のことだよね。絵本の100 万回生きたねこ」に100 万本のバラ」という歌も100 という数字から思い浮かんだのだが、どれもこれも過去のものっぽい。100 」という数字から今風っていうか未来志向的に思い浮かぶことはないのだろうかと考えあぐねてみたら、あった、あった、ありましたよ、100 」という数字から思い浮かぶ未来志向的な言葉!

 それは、なかなか今風でありまして、ここ数年よく見たり聞いたりする「人生100年時代」って言葉。

「人生100年時代」であるならば、アラ還の私にはまだ寿命が40年あるってことになる。その40年を健康で丈夫に過ごせたならば、きっと人生まだまだ楽しめるはず! そう信じて100まで健康で丈夫に生きるってことを目標にする。

 と、ここまでダラダラと書き連ねたこと、お粗末だけど、これが「100 という数字から私が思い浮かべること、100 にまつわるエトセトラ、でした。

 みなさん、がんばって100まで健康で丈夫に生きましょう!

 

 ご高覧いただき有り難う御座いました。m ( _ _ ) m

 では、今回これにて失礼します。

 ごきげんよう

「100 」にまつわるエトセトラ

 

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