潮風に吹かれて

Goです!  海辺に住んでいます。そんなことから、このブログのタイトルを「潮風に吹かれて」としました。  映画を観ること、どこかへぶらっと出掛けること、それから山歩きすることが好きです。ブログ「潮風に吹かれて」では映画を観ての感想や山行をふくむ旅先での出来事などをネタにした記事を発信していきます。    つたない文章で読みづらいと感じられることがあると思われますが、なにとぞヨロシクです! m( _ _ )m

潮風に吹かれて

vol.13 悪夢のような世界でも住めば都?

潮風に吹かれて

映画未来世紀ブラジル

原題: Brazil 製作国:イギリス / アメリカ合衆国

劇場公開日:1986年 10月10日(日本)

上映時間:2時間22分(20世紀フォックス版)

        2時間11分(ユニバーサル・ピクチャーズ版)

監督:テリー・ギリアム

脚本テリー・ギリアム / トム・ストッパード / チャールズ・マッケオン

キャスト:サム・ラウリー(ジョナサン・プライス)

     アーチボルド・ ハリー ・タトル(ロバート・デ・ニーロ)

        ジル・レイトン(キム・グライスト)

        ジャック・リント(マイケル・ペイリン)

     アイダ・ラウリー夫人(キャサリン・へルモンド)

        スプーア(ボブ・ホスキンス)

        ダウザー(デリック・オコナー)

        その他……

 

解説・あらすじ    舞台は、国を統括する巨大組織・情報省によって国民が徹底的に管理されている、どこかの国。  ―   ダクトが張り巡らされた近未来の街では、全体主義的な政府に対する爆弾テロが頻発していた。そんな中、情報省のコンピューターがテロの容疑者「タトル」を「バトル」と打ち間違え、テロとは無関係なバトル氏が強制連行される。その一部始終を見ていた女性・ジル ( キム・グライスト ) は誤認逮捕だと役所に訴えるが、全く取り合ってもらえない。一方、情報省に勤めるサム ( ジョナサン・プライス ) は、誤認逮捕の揉み消しを上司に命じられ、その任務を遂行するために神経をすり減らしていた。情報省の責任回避をどう図ろうかと試行錯誤している小役人サムは、自分が翼を持つ騎士になって囚われの美女をさっそうと助けるという夢を夜ごと見るようになっていたが、その夢の中に出てくる美女と情報省に抗議に来ていたジルがそっくりだということに、ある時ふと気づく。その後日、自宅の暖房ダクトが故障したことから非合法のダクト修理屋を名乗るテロリストのタトル ( ロバート・デ・ニーロ ) と出会ったサムは、タトルの影響を受けて心の中の何かを弾かせた。ジルは先の抗議により情報省に追われることになり、そんな彼女を救うため、サムは省内の機密を持ち出してしまう。果たしてサムは夢の中の騎士のようなヒーローになれるのか? ……。

 ジョージ・オーウェルの小説「1984年」が映画の一つの題材になっている本作の制作中のタイトルは「1984 1/2 」だった。また、本作のヴィジュアル・スタイルに関しては「フェデリコ・フェリーニの映画『8 1/2 』にも影響を受けている」と、この映画を撮ったテリー・ギリアム監督は語っている。「企業と政府の体制を維持するために如何にテロリストが必要とされるか、という『ブラジル』(『未来世紀ブラジル』) のテーマが現代アメリカの問題に重なる。戦争を正当化するためにテロが用いられているところなどそっくりだ」と発言しているギリアムは、この映画について「『1984年』にインスパイアされているが、オーウェルの小説を再現するのではなく、今日的な視点から未来を描いたものである」と語ってもいる。そしてギリアムは、この映画を、「バンデットQ」( 1981年 ) に始まり「バロン」( 1989年 ) で終わる≪3部作≫の2作目、と称している。ちなみに、これら3作の共通テーマは、「無様なほど統制された人間社会の狂気と、手段を選ばずそこから逃げ出したいという欲求」とのこと。

 ここまで本作について書き記してきたことをサクッとまとめると、テリー・ギリアム監督が撮った「未来世紀ブラジル」は、徹底的に情報管理された近未来社会の恐怖と狂気、そこから抜け出そうともがく人間を、奇想天外な世界観と痛烈なブラックユーモアで描いたSFカルト映画っていうふうになる。

 この映画で、ロバート・デ・ニーロは当初ジャック ( 情報省に勤めるサムの同僚 ) 役を希望していたが、ギリアムはすでにその役をマイケル・ペイリンに決めていたので、デ・ニーロはテロリストのタトル役を演じることになった。また、この映画にはギリアム監督の次女が、マイケル・ペイリン演じるジャックの娘役でワンシーンに登場している。

 と、「未来世紀ブラジル」こぼれ話を記述したところで今回の≪解説・あらすじ≫は幕とする。

  

 映画「未来世紀ブラジル」が日本で劇場公開された年の10月、私は22歳でした。当時の私はロバート・デ・ニーロの大ファン ( 今も彼は好きな役者であるけれど、現在は『大』が付くほどのファンではない ) で、デ・ニーロが出演している作品は片っ端から観たいと思っていた私は、「未来世紀ブラジル」にデ・ニーロが出ていることを何かで知ると、誰が撮った作品とか話の内容とか、そういうことはチェックせぬまま「これ、観る」と決め、「未来世紀ブラジル」が封切られて間もなくに、デ・ニーロの演技、それ見たさだけで、「未来世紀ブラジル」を観に映画館へ行きました。

 ロバート・デ・ニーロが出演しているってこと以外は何も知らないで観た「未来世紀ブラジル」、鑑賞後の感想は、すっげえ怖い映画だなぁ……というものだったと記憶しています。何が怖いって感じたかというと、こんな世の中になったらイヤだなって思う場面が「未来世紀ブラジル」には数々あるのですが、「こりゃチョー恐ろしい」と私が一番コワイって感じたのは、作中さりげなくブラックユーモア的に描かれている≪無関心≫というものです。どういう無関心かというと、街中で何か騒動があってもそこを往来する人々は何事も起こっていないかのように知らんぷりで通り過ぎて行く、そういうような無関心です。その他大勢のモブキャラ達が「自分に関係ない事や見ず知らずの人の事は放っておけばいい」というように振る舞っているシーンは随所にちりばめられていたと思います。人の情けが微塵もない社会ってどうなんでしょうね? そういう世の中をクールというふうに受け止めて「別にいいんじゃない」と考える方々もおられるでしょう。対人関係って難しいもんね、それの煩わしさに辟易してホント人づきあいって面倒って思うことある……でもさ、社会全体に≪無関心≫が蔓延していて氷のように冷たく感じられるだろう世の中よりは、ちょっと厄介であっても人と人とが適度に関心を寄せ合って義理人情が垣間見られるっていう暮らしのほうがイイなって、寒がりで冬よりは夏のほうが好きっていう私は思う。あ、冬よりは夏のほうが好きってだけで、暑いのウェルカムというのではなく、猛暑や酷暑は御免だよ。ん、何を言ってるのって思っています? ええっと、暑すぎるのは御免、それっていうのは、「多少のお節介はOK。でも、べったりと干渉されるのはノーサンキュー」と、そういうことです。

 まあ、とにもかくにも「未来世紀ブラジル」を観たワタクシは、悪夢のような世界でも住めば都? と、そんなことを考えさせられたりもして、怖い作品だなって思ったのでありました。

 映画「未来世紀ブラジル」について、おしまい。とっぴんぱらりのぷう。

 

 では、ここから第3回目の「Goです の“ 昭和あの日に帰りたい ”」のコーナーです。今回は4コマ漫画「路地での思い出」です。

 じゃ、またね。ごきげんよう  \( ^ 0 ^ )

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